徴兵忌避を題材に脚本を書く
徴兵忌避はずっと気になっていた題材でした。しかし、脚本の中でどう取り上げれば良いのか、非常に難しい題材でもあります。今回は、そんな徴兵忌避について少し考えてみたいと思います。
徴兵忌避とは
徴兵忌避とは、兵役に就くことから逃避する行動を取ることです。徴兵忌避の行動にはさまざまなパターンが有ります。よく知られているのは、わざと体を壊して徴兵検査で失格しようとする詐病です。たとえば、高い所から飛び降りて骨折したり、一升瓶の醤油を飲み干して熱病を装うなど、かなり過激な方法が試されていました。
また、徴兵される前に逃亡する人もいたようです。私が徴兵忌避に興味を持ったきっかけは、梯久美子さんの著書「昭和二十年夏、僕は兵士だった」の中の一篇で、三国連太郎さんの戦争体験を読んだことでした。そこには、兵役から逃れようと逃亡生活を送った三国さんの体験が綴られていました。兵役から逃れようとしていた人が居たという事実を、私はその本で初めて知りました。
三国さんの話を読んだことをきっかけにして、私は徴兵忌避に興味を持ち、少しずつ調べ始めました。
そしてある文芸誌のバックナンバーの中に、徴兵忌避を実践した人たちの手記を集めた特集記事を見つけました。その記事には実にさまざまな方法で徴兵検査を逃れた人たちの体験談が記されていました。
真冬に素裸で庭に立ち続け熱病にかかった人。北海道の開拓地に身を隠した人。中には自分の死亡届を出した人も居たようです。
徴兵忌避をどうとらえるか
徴兵忌避という事実に興味を持った私は、これを題材にして脚本を書けないかと考えました。しかし、物語のテーマにするには徴兵忌避はとても扱いの難しい問題でした。
そもそも、徴兵忌避という行為は善良な行為なのか、それとも悪意なのか。どうとらえればいいのかということに随分と頭を悩ませました。
戦争に行きたくない、人殺しなどしたくない。そういう思いを抱くのは当然のことです。そして、何よりも死にたくないという気持ちから兵役を逃れたいと思っていた人は大勢居たでしょう。それでも兵役が義務だった時代、召集令状を受け取れば兵役に就くのは当然のことであり、それを拒否することは義務を果たさないことになります。徴兵年齢の男性の大多数が兵役を受け入れている中で、病気を装ってまでその義務から逃れようとする行為は果たして正義なのか、それとも卑怯な行為なのか。この問いに答えを出すのは私には難しく、結局、いまだに答えは出せていません。
脚本にしてみたいけれど、どう扱えばいいか分からない。徴兵忌避はそれほど難しいテーマだと思います。
徴兵忌避を題材とした脚本
それでも何か自分の中でまとまった考えを脚本で表現してみたいと思った私は「志願兵の行方」という本を書きました。この物語では、息子の兵役志願を取り消した父親を取り上げました。志願を取り消したことで一家は村八分にされてしまいます。そして息子は父親を憎み、家を出る。兵役を拒否したことで崩れてしまった家族の戦後を追いかける形の物語です。善いか、悪いかではなく、兵役を逃れるという行為がどんな結果を生むのか。それを描いてみようと思って書いた脚本です。
徴兵忌避を取り上げた脚本は「志願兵の行方」の他に、もう一本あります。タイトルはここでは書けないので、興味のある方は連絡をいただければ紹介をします。
「志願兵の行方」、そしてもう一本の脚本のどちらも試読していただけます。
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