赤穂浪士 小野寺十内とその家族を描いた脚本「夢去りしあと」
「夢去りしあと」は、忠臣蔵に材を取った物語です。忠臣蔵ではあまり語られていない、浪士の家族の姿を描いています。ここでは「夢去りしあと」の登場人物のことを紹介します。
小野寺十内の妻、丹の物語
「夢去りしあと」の主人公は赤穂四十七士の一人、小野寺十内の妻の丹です。
元禄十四年、十内は京都留守居役として都で暮らしていました。家族は五人。十内の妻である丹と、十内の母。そして”いよ”と幸右衛門の二人の養子がいました。いよは妻の丹の実の妹です。病弱で嫁ぎ先のなかったいよを、丹と十内の夫婦が養子に迎えたのです。幸右衛門は十内の姉(妹?)の子供で、四十七士の一人である大高源吾の弟です。
子供に恵まれなかった十内と丹は、いよと幸右衛門を養子に迎えたのですが、家族仲はとても良かったようです。
丹は和歌の才能があったとのことで、「夢去りしあと」の中にも、その和歌を織り込んでいます。
十内と丹は夫婦仲が非常によく、ふたりで和歌を学ぶなど京の都で平穏な日々を過ごしていました。しかし、赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城で起こした刃傷事件をきっかけに、十内とその家族の生活は一変します。赤穂藩はお家取り潰しとなり、十内は京都留守居役から一介の浪人に身を落とすことになったのです。そして大石内蔵助らとともに仇討ちを決意した小野寺十内は江戸へ立ちます。また幸右衛門も仇討ちに加わるべく十内と行動を共にします。都に残されたのは丹と老母、そしていよでした。物語ではこの3人の暮らしを描き、仇討ちの裏であまり語られていない女性たちの悲劇を扱っています。
十内と丹の文の交換
仇討ちのために江戸へ立った十内は、丹に宛てた手紙を頻繁に送っています。その手紙には江戸での暮らしの様子や折々の和歌などがしたためられていました。丹もまた十内のもとへ手紙を送りました。仲睦まじい手紙のやり取りですが、仇討ちが近づくにつれて悲壮感が漂い始めます。この手紙のやり取りも「夢去りしあと」の見せ場となっています。
丹の暮らした跡が残る京都
丹が生きていた証は京都に残っています。丹と妹いよの墓は、京都の猪熊五条にある了光院というお寺が管理して、今も残っています。丹のお墓はもともと本圀寺というお寺の塔頭了覚院に建てられましたが、了覚院が廃寺になった後、その墓所だけが保存されました。
また丹は、京都の東大路二条にある西方寺に、十内と幸右衛門の墓碑を立てました。討ち入りのあった12月14日に、西方寺では義士法要や琵琶演奏の奉納を今でも実施しています。
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