脚本はかならず音読して推敲する

私は、自分で書いた脚本はかならず音読してみることにしている。
本を書くときはパソコンに向かって黙々とキーを叩いている。台詞を声に出しながら書くということはない。もともとしゃべるのが得意ではない私はそれが普通だと思っているが、他の脚本家さんたちはどうしているのだろう。もしかしたら、台詞を喋ってみながら本を書き進める人もいるのかもしれない。今、この文章を書きながら、そういうやり方もあるなと思った。今度、試してみよう。

音読してみることの目的のひとつは脚本の粗を探すことだ。
台詞は役者が声に出して演じるためのものだ。だから当然、それは人が喋ることを前提に書かれたものでなければならない。黙々と書いた台詞は声に出してみるととても読みづらいものであったりすることがある。一文がやたらと長かったり。喋り言葉では普通使わないような文語的な表現を使っていたり。「○○なのよ。○○なのよ。○○なのよ」と、同じ文末を繰り返していたり。とにかく、頭で書いた文章は人と人が対話している「言葉」としては不自然なものになっていることが往々にしてある。
音読してみるとその不自然さは明瞭になる。ひとまず脚本の最低限の基準をクリアするために、音読は欠かせないと思っている。

さらには声に出してみることで、新しい台詞のアイデアが生まれることもある。読みづらい文章を直していくうちに、この登場人物はこの場面でこんなことを言うだろうかと考えなおしたり、もっと違う表現があるのではないかと気づいたり、場面の展開そのものを見直すきっかけになることもある。声に出して読んでみて、はじめて見えることがたくさんあるのだ。

そして音読が大事なもうひとつの理由は、聞かせどころの場面が自分の考えたとおりに出来上がっているかを確認することだ。
台詞のやり取りが自分で納得できるものになっているかは黙読するだけでは確認が不十分だ。やはり声に出してみないと分からない。だから、自分で「ここが見せ場」と考えている場面は何度も声に出して読んでみることにしている。

この「音読での推敲」は、脚本だけでなくコラムなどの文章を書く時にも役に立つ。結局、お客さん(読者)に伝わりやすい文章というのは、「聞いて分かりやすい文章」なのではなかろうかと思う。
そして、この文章も音読による推敲をしている。読む人が読みやすく、満足してもらえるものになっていればいいのだが。