息子の入隊志願を阻止した父親の物語「志願兵の行方」

「志願兵の行方」は、息子の入隊志願を父親が取り消したことを原因に崩壊してしまった家族の戦後を描いた物語です。ここでは、この脚本を書いたきっかけなどを紹介します。

”「入隊阻止」今は誇りに”

脚本の題材を探して、戦争に関する資料をいろいろ眺めていた時、”「入隊阻止」今は誇りに”という見出しのネット記事を見つけました。
それは、昭和20年(太平洋戦争の最後の年)に、少年飛行兵に志願した男性に取材した記事でした。
男性はそのとき国民学校の6年生。つまり現代で考えると小学6年生です。「国のために役立ちたい」という熱い思いを抱き、母親に相談して飛行兵に志願します。しかし、そのことを知った父親は憲兵分隊の施設へ行き、男性の志願を取り消してほしいと願い出ました。憲兵はもちろん激怒し、父親は激しい暴行を受けましたが考えを曲げず、息子の志願を取り消して家に帰ってきます。父親の顔、体。全身が腫れ上がっていたそうです。
入隊を取り消された男性は、学校で教室の前に立たされ、先生から「○○君は不合格」と発表されます。男性は父親のことを恨みました。そのわだかまりは長い間消えることはなく、父親が自分を守ってくれたのだと理解できたのは父親が他界した後だった。そんなことが書かれた記事でした。

志願する子供の気持ち

太平洋戦争期の日本についてのいろいろな資料を読んでいると、あの頃、戦うことに美徳を感じ、愛国心に突き動かされていたのは、大人よりもむしろ子供の方だったのかもしれないと感じることがあります。
志願兵という仕組みのことが気になったので調べてみると、志願とはいいながら、各市町村に募集人員の割り当てがあったことが分かりました。その割り当てを達成するために、これはと思う学生には役所の兵事係や学校の先生が声をかけていたようです。
そのように声を掛けられて志願する少年たちがいる一方で、先述の記事の男性のように自ら志願した子もいるのです。男性は小学6年生のときに志願をしています。中国との戦争が始まった後に生まれた当時の小学生には「お国のために敵国と戦う」のは勇ましく、かっこいいことだったのかもしれません。

子を守ったのにその子から恨まれた父親

我が子が戦地へ行くことを阻止したことで、その息子から恨まれることになってしまった父親の心情はどのようなものだったのでしょう。記事を読んだ私は、この親子がどんな戦後を生きてきたのかが気になりました。
おそらく、この父親は我が子から恨まれるだけでは済まなかったのではないでしょうか。入隊志願を取り消すとはすなわち徴兵忌避のようなものです。当時は「非国民」のレッテルを貼られていてもおかしくないはずです。体中に傷を負ったその人は、近隣の人々から嫌悪の目を向けられたかもしれない。そして、その眼は志願を取り消された息子や母親にも向けられたかも。
私はこの家族が生きた戦後をいろいろに想像してしまいました。そうして書いた脚本が「志願兵の行方」です。

「志願兵の行方」のあらすじ

昭和二十年。終戦の年の春のあの日、喜美子の夫、秋雄がしたことを誰もが責めた。恥ずかしいことだと罵った。
浴びせ続けられる非難と軽蔑の目に耐えきれず、喜美子たちは京北の村から逃げ出して京都の町に移り住んだ。しかし何も解決することはなかった。秋雄のことを誰よりも強く非難していたのは息子の優だったからだ。

兵役を志願した息子。それを取り消した父親。徴兵を忌避したことで崩壊した家族の戦後を描いた物語。

「志願兵の行方」はこちらのページで脚本の一部を試読できます。