演出家ってすごいなと思った話

「脚本は設計書であり、それ自体は作品ではない」
そういう言葉が、脚本の教科書にはよく書かれている。
本当にそのとおりだと思ったのは、「平成七福亭物語」という作品に携わったときのことだ。

私はこの脚本を朗読劇として上演する想定で書いた。つまり、役者はマイクの前に立ち、台本を持ってセリフを読む。動きのある芝居はしない。声の演技を楽しんでもらう舞台になると考えていた。

ところが、私の脚本を読んだ演出家さんは「少し動きを入れましょう」と提案された。物語のクライマックスに登場する一人の男について、この役を演じる役者には台本を持たせずに芝居をさせましょうというのだ。
その男はストーリーのカギを握る人物であり、登場するのは一場面だけ。男の存在感を際立たせるには、台本を持たずに身振りで演技をさせた方が良い。他の演者が台本を読む「静」の芝居をするのに対して、男の演者は「動」の演技でお客さんの注目を寄せるという提案だった。
朗読劇は台本を持って演じるものという固定観念に囚われていた私にとって、それは目からウロコの落ちるような演出だった。
しかし考えてみれば、演者が舞台に上がってお客さんの前で役を演じる以上、朗読劇も一般的な演劇と同じように視覚的演出にも気を配るのは当然のことだった。マイクの前で直立不動でいる必要はないし、お客さんを楽しませるための仕掛けはもちろん有った方が良い。
そして、「平成七福亭物語」の公演では、台本を持たない男の芝居が物語を盛り上げる大きな役割を果たした。

脚本はそれ単独では作品ではない。脚本は設計書であり、劇の骨格なのだと感じる。脚本という骨格は演出家によって肉付けされて、役者がそれを動かすことで初めて作品になる。骨格を書いた段階では見えていない劇の姿を創造する。演出家にはそんな構想力が求められる。あの脚本に輝きを与えてくれた演出家さんに出会えたことは、私にとってはとても幸せな経験だったと、今思う。